CCI FRANCE JAPON

競馬への思い

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共に歩む日仏の競馬界

美しい馬たち
「今日も身につけていますが、2010年に日本大使を通じて受賞した旭日中綬章は、私の競馬人生の中で最高の思い出のひとつです。」パドックのように仄暗い日本のフランス大使館の大広間。5月のある日曜の夜、ごく限られた人たちを集めたパーティで、ルイ・ロマネ氏(Louis Romanet)は語った。競馬界の伝説的人物で日仏競馬界における友好関係の象徴であるロマネ氏を称えるため、業界の主要な人物たちが集まった。ロマネ氏はひとつひとつ思い出す。「1972年、ハードツービートで樫山純三氏がフランスダービー(ジョッケクルブ賞)に勝利しました。1998年は、日本の調教師たちがドーヴィルの2つの大きな大会、モーリス・ド・ゲスト賞とジャック・ル・マロワ賞に勝利しました。1999年には、エルコンドルパサーがサンクルー大賞で勝利し、凱旋門賞で2着にはいりました。」国際競馬統括機関連盟会長であるロマネ氏の功績により、ジャパンカップは創設21年後の1992年、世界競馬界の最高峰とされる国際G1に指定された。
一方、フランスの馬主と調教師の間でも吉田照哉は知られた存在だ。彼は絶大な信頼を得ており、北海道におそらく世界最大となる厩舎(年間1200頭が誕生)である社台ファームを保有する並外れた馬主だ。


知られざる情熱
日本が競馬の盛んな国であることは世界に知られていない。日本の社会生活においてどれほど競馬が浸透しているかを想像するのは難しい。しっかりと目で確認するなら、年に数回開催される大きな大会を観戦して、その想像を超える熱気を体感することだ。例えば、11月開催のジャパンカップでは、10万人の観客が筒状に丸めた新聞を叩きながら、お気に入りの騎手の名前を連呼している。あまり時間のない多忙を極める人には、数字だけでも十分イメージができるように、「日本はサラブレッド種の出生数で世界5位、競馬場の数で世界3位、賞金総額250億ユーロで世界一(比較してフランスは賞金総額100億ユーロで世界3位)です」とロマネ氏は具体的に語る。
さらに驚くべきことに、国際競馬統括機関連盟の統計によれば、2014年の世界最優秀馬上位2頭は日本の馬だった。いまだかつて上位2位をひとつの国が独占したことはない。


フランスの情熱
しかし、フランスと日本が競馬界においてここまで友好関係を築いてきたことを知る人は、日本はもとよりフランスでもほとんどいない。1907年からフランス競馬界に君臨するロマネ家のルイ・ロマネ氏は、この友好関係の象徴的存在だ。「私が1968年にこの世界に飛び込んだとき、最初のミッションは、日本からの研修生を迎えることでした」とロマネ氏は振り返る。日本中央競馬会(Japan Racing Association, JRA)は設立50年を迎えるが、ここまで徐々にフランスから規格を取り入れてきた。「一年一年、私たちはJRAと共に日本の競馬の発展に寄与してきました。まずスタートはジャパンカップ。しかし日本の馬はいつも負けていました。そこで、原点に返るため、ひとつひとつ見直してから、レースを再開しました。転換点は2004年でした。その年、日本は24のレースを国際指定競争にし、外国馬の出走が可能になりました。今ではすべてのオーナーが世界を見据えています。」今年2月、フランス人のクリストフ・ルメールが外国人騎手として初めて日本の騎手免許試験に合格した。日本語と馬に関するいくつもの筆記試験を受けての合格だ。非常に象徴的なことだった。パトリック・バルブ氏(Patrick Barbe)はこう説明する。「フランスに来る外国人の中で、日本人はおそらく一番吸収力があります。彼らは我々の分野を徹底的に勉強していますよ」。日本の馬主は、仏ドーヴィルで行われる1歳馬セールに精通している。この1歳馬セールに参加することで、日本の飼育レベルは向上してきた。バブルの熱狂は過ぎ去った今もその影響が残る。このセールに参加する常連のひとりは、「昨年、日本の馬主は合計で600万ユーロ相当の馬を買った」と話していた。


未来に向けての準備
日本とフランスは、双方の競馬協会が同様の非営利組織を基盤としていることもあり、手を携えて前に進んできた。ルイ・ロマネ氏は「日仏は共に、競馬の国際的発展のため努めてきました。国が集結して世界中の競馬場で人々が競馬を楽しんでくれたらと願っています」と言う。フランスはJRAのスポンサー対応にも影響を与えている。昨年11月、高級ブランドのロンジンが初めて競馬のスポンサーになった。JRAを説得したのはフランスだ。JRAは監督下にあった農林水産省から自立しつつある。


凱旋門賞を待ちながら
問題点があるとすればひとつだけ見過ごせないことがある。「それは45年間、日本人が凱旋門賞の勝利を逃していることです。このレースは、日本にとっては大イベント。凱旋門賞が始まるのは日本時間の午前1時。でも恐らくフランス人よりも多くの日本人がテレビ放映を観ています。 競技は日本のキー局で中継されるのに比べ、フランスでは名誉あるEquidia TV(競馬チャンネル)で放映するだけ」と、先のパトリック・バルブ氏は説明する。バルブ氏は、フランス最大規模の馬のブローカーであり日本との取引を最も積極的に行っているひとりだ。
1969年のスピードシンボリを皮切りに、日本は15頭がこの「世界最大のレース」に参戦してきた。優勝に手が届きそうなことはしばしばあった(1999年のエルコンドルパサーの2着、2006年のディープインパクトの失格、ナカヤマフェスタの2010年の2着、オルフェーブルの2012年、2013年の2着など)が、まだ達成できていない。2006年は、日本から5000人の観客がディープインパクトの走りを見るためにパリを訪れたが、薬物反応が出て失格になった。パトリック氏は当時を思い出す。「日本人は当てるためというよりも、記念馬券を持ちたいがために馬券を買っていました。それで、2ユーロの馬券の窓口には、2ユーロチケットで何千ユーロ分ものチケットを買う日本人であふれていましたね」。

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